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研究者でもあり信者でもある方のお話を聴けた事は、大変ありがたい事だと感じました。1パーセントの壁を超えない「特殊な国」日本でずっと生きた来たので、生身の感覚としてのお話しはとても興味深かったです。できれば、今後も続けてお話しを聞きたいですね。欲張れば、イスラム教でも同様な企画が有ると嬉しいです。♡
一言で語る事が難しい神学的なビッグワードを、誠実に言葉を選びながら伝えようとされている千葉先生の態度に感銘を受けました。そして、先生の救いの証によりキリスト教の真髄(愛の実践、罪の自覚、神との個人的な出会い)がくっきりと立ち上がり、「愛」が「大切」という温かみを持って伝えられた事に深く感動致しました。明治のキリスト者の社会的影響、私も大いに関心のあるテーマです。次回も楽しみにしています❗️深井さんのまとめ、いつもながら流石です。勉強になりました。
出会った事実は消せない。これ、刺さりましたー。RUclipsですが、千葉先生を通じて間接的に主に出会った気分です。キリスト教を話すのは難しく、なかなか機会がないですが、私の一部なので、この放送を通じて、いろんな方の意見や見解が聞けて、とても嬉しいです。コテンの皆様、そして千葉先生、本当にありがとうございました。
千葉さんがとても誠実にそして親しみやすく話してくださっていて、キリスト教について知るよいきっかけとなりました。ありがとうございました。もっとお話を伺いたいと思いましたのでまた是非よろしくお願いいたします
千葉さんと樋口さんの会話は結構スリリングで面白かったです。それ聞いちゃうの?っていうわりと極端なくらいロジカルな樋口さんのツッコミに対して千葉さんの切り返しは見事だなと思った。宗教とロジックの関係性はボケとツッコミの関係とよく似てる。今の時代、ボケツッコミ両方カバーできるものじゃないとなかなか興味が惹かれない。そういう意味でとても面白いシリーズだと思った。
関心を持ち続け聴きました。知的度が高いと感心しました。神の実在を確信することは、不思議な体験がその一つであって、もう一つ欠かさない事は聖書を読み神について知る事は基本だと個人的に思い感じてます。身の回りのものを観察し、その摂理について調べ考え、万物の裏に規則がある事に気付ければ、追求すれば、神の存在とその創造に辿り着き気付くのです。千葉さんのお話しは本当に歯切れ良く誠実さを感じ、またたくさんの事を知る(確認)ようになりました。嬉しくて、そしてありがとうございました。知らない事を自覚すれば、それこそ無限への知的な旅の始まりである。ソクラテスが言うように、わたしが知っている事は「自分は何も知らない事だ」。日本訳は適切かどうかは分かりません。その意味は間違いないでしょう。千葉さんの目指す事を是非とも実現できますように。祈り願います。素晴らしいですね♪
偶像崇拝や修道院の話については、やっぱりカトリックの有識者に聞いていただいた方がよいと思います。千葉先生は、このあたりについて、カトリックに対する偏見もなく、知識もそれなりにお持ちで、分からないことは分からないと仰る誠実さを感じました。しかし、やはりそれでも、偶像崇拝や修道院については、当事者であるカトリックの方でないと語れないな、とカトリックである当事者からの素直な感想です。プロテスタントとカトリック、キリスト教として共通点も多いですが、違いも沢山あります。しかしどちらも、それぞれの角度から歴史を動かしています。キリスト教を多面的に理解するには、プロテスタントとカトリック(日本では難しいですが+で正教)、両方から見る必要性を感じました。そういう意味では、自分もプロテスタントの勉強しないとですね…
海外文学を読む時に、キリスト教の要素がどうしても理解できないと感じていました。今回のシリーズを何回も聞いて大分イメージが出来るようになったと同時に、もっと詳しく知りたくなりました!シリーズ2ぜひお願いします!
コテンラジオならではの、素晴らしい回でした。ありがとうございます!
めちゃくちゃ良いシリーズでした。他の宗教も是非聴いてみたいです。
第二弾を期待します。その時は、話をしている千葉さんのお顔を見たいです。
千葉先生 ありがとうございました。本日も勉強させて頂きます!
母が長崎の五島列島出身なのでキリスト教について興味がありました。ですが、私の家系自体は浄土真宗なのでどこから触れていけばいいのか分からなかったので、千葉先生のお話はとても参考になりました。ありがとうございました✨
次回も楽しみにしているので、是非続けてください。
私の一番好きな聖句は「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコ 2.27-28)です。これはヨーロッパで科学が発展した源になっていると考えています。
コテンラジオではたまにゲームの話出てくるのが個人的に楽しかったりするんですが、今回大好きなキングダムカデリバランスの話が出てきてテンション上がりました笑。私自身がまさにそうなのですが、キリスト教についてほんのりふんわりしか知らないよくいる一般的な日本人として生きてると、修道院ってさらにその謎の奥の奥の世界って感じで馴染みがないし、創作の世界の中ですらもチラッと触れるくらいしかないことが多いので、あのゲームの中では修道院生活をじっくり体験できたのが本当に面白かったなとお話聞きながら記憶が蘇りました。謎のあまりちょっと憧れもあった修道士生活でしたが自由な時間が全然なくて正直しんどかったのも含めて楽しかったです。今回のコテンラジオのキリスト教編もおそらく一般的な人が抱くであろう疑問をたくさん代弁していただいた感覚があってすごく腑に落ちた部分が多かったです。(と同時にさらに謎が増した部分も…それもまた個人的には収穫です)信者でもないのにこんなことまで突っ込んで、というかストレートに聞いて良いのか?みたいなことってたしかにあって、そのあたりのお話も面白かったです。また、どの回でもそうなのですが深井さんが語り手の方を尊重している姿勢なのが本当にコテンラジオの安心して話を聞けるところだなぁと感じました。今回も面白かったです。ありがとうございました!
正直自分には難しかったですが、知的に刺激される部分が多くてもう一度最初から見たいという気持ちになりました。キリスト教は歴史でもそうですが現代の世界を考える上でも避けては通れない要素だというのに、日本人の自分からするとこんなに遠い感じがしてしまう。本当に素晴らしい企画だと思いました。是非シリーズ2や他の宗教のことも聞いてみたいです!
とても興味深い話しを聞けてよかったです有難うございます。特に千葉さんがキリスト教を信仰するに至ったあたりの話しが聞けてとても面白かったです。神学校に入られてこういう活動をされてるのを拝見するときっとお導きがあったのでしょう。自分はカトリックですが家で祈る時は基本的に心の中で主の祈りを唱えるのみです。たまにアベマリアの祈りを心の中で唱える事もありますが、やっぱり家ではほぼ主の祈りだけですね(他のカトリックの皆さんごめんなさい)。ちなみにロザリオはロザリオの祈りを唱える時に、あの珠数状の玉を使って何回唱えたか回数を数える為の物です。
勉強になりました!
千葉先生がかなり真摯に対応しお答えそれていて、とても深い内容になっていると感じますが、個人的な信仰の領域にお三方が知的関心を動機に興味本意でそこまで踏み込んでいく必要あったろうか、とは思いました。
一人ひとりは神様からどのような恵みを頂けるか、また頂ける内容と時期がそれぞれ違います。だから個人的にと言う言葉を使ってます。キリスト信仰は実在する神様と繋がる為の旗🚩みたいなものと言ってもいいかなぁと思います。結局はその恵みはすべての人に及ぶので、だから先に信じた人はその広がりに所謂他の人々に述べ伝える意欲が(自然に溢れてくるもの)生まれるのである。福音と言うのは、喜びをもたらすものでもあります。その故、抑えきれずに人にシェアしたくなります。人にもその喜びを味わって欲しいその願いから自然に口に出てしまい、そして溢れるのです。いずれ、すべての人(信じる人)はその恵みと喜びを体験するのである。それは聖書にはっきりと書いてあるものです。経験者としては、一日も早く、一人も多くその喜びを体験できるように願うのである。救いは人を創造した神の計画御心である故、神を愛しまた心より感じそして信じる人はその御心に従いたく、口に出して人に伝えるのである。書きすぎて、気に入らないなら、飛ばして読まないでください。宜しくお願いします。
@@陈晓煜-f9s コメントありがとうございます。読み飛ばすだなんて、繰り返し読ませていただきました。おっしゃられるように、多くの人の眼が開かれんことを。
連続性への郷愁
面白かったです。私自身は洗礼は受けていないですがカトリックの環境でずっと育ったので少しラジオ内で触れられていたお話について……。ロザリオは、神聖なものとは思いますが、ロザリオの祈りをするときに使う道具というくらいであまり縁起がいいという感覚は私にはありません。それよりは十字架やおメダイが縁起がいいと感じます。私のなかではお守りのような感じ(持ち歩いて身近に神や聖マリアを感じる)です。
キングダムカムデリバランスの修道院のパート楽しかったけどめっちゃ面倒だったw
助けてくださいという祈りも、神が私たちを助けることを通して、神の栄光が現されることを期待してる感じがします!(実際には自己中心にもなりやすいけど)
この回に関してはもうちょっと話の内容や順序を固めて話して欲しかったかなぁ...色んな話が小出しに、前後して出てくるのでキリスト教知識の薄い自分にとっては理解が難しい部分が多かったです。プロテスタントに限定して聖書の概要、実態、宗教観みたいな感じで流れがあると良かったかなぁ...
祈り、は一周回って主の祈り、っていうの凄くわかります。(我らの罪をも赦し給え)個人的には祈りは葛藤、だと思っています。ある時は神に恵みを求めて祈り、辛い時は運命を嘆いて神よどうして…と信仰に迷い、生きる意味なくした時は神にひたすら救いを求めて祈る。結局どうやっても神に戻る。それがクリスチャンの神への祈りではないかと。千葉先生はまだ若いので学びの方が強いのかもしれませんが、それでも祈りの中で神への疑問が生じて葛藤する事はあるのではないでしょうか。そしてまた神に戻って救われた。祈りとは結局、その繰り返しであるように思います。キリスト教は赦しの宗教である。その一言に尽きるのではないでしょうか。機会があればカトリックの方の信仰、天使とか聖母マリア信仰とかも聞いてみたいですね。全編お疲れ様でした。
千葉先生の回答が、回りくどくて分かったような分からないような…私だけかも知れませんが、頭に入って来ないなあ。
a scope で橋爪大三郎さんと話していた内容のほうが深く、わかりやすかった気がしますね。橋爪先生をよんで欲しいけど難しいかな?
近い将来は国際基督教大学あたりで教えるのかな?著作が出たら買いたいと思います。
教会の神父と修道院の神父との違いは、学部や大学院の教授と研究所の教授との違いに似てますかね?
研究者でもあり信者でもある方のお話を聴けた事は、大変ありがたい事だと感じました。1パーセントの壁を超えない「特殊な国」日本でずっと生きた来たので、生身の感覚としてのお話しはとても興味深かったです。できれば、今後も続けてお話しを聞きたいですね。欲張れば、イスラム教でも同様な企画が有ると嬉しいです。♡
一言で語る事が難しい神学的なビッグワードを、誠実に言葉を選びながら伝えようとされている千葉先生の態度に感銘を受けました。そして、先生の救いの証によりキリスト教の真髄(愛の実践、罪の自覚、神との個人的な出会い)がくっきりと立ち上がり、「愛」が「大切」という温かみを持って伝えられた事に深く感動致しました。明治のキリスト者の社会的影響、私も大いに関心のあるテーマです。次回も楽しみにしています❗️
深井さんのまとめ、いつもながら流石です。勉強になりました。
出会った事実は消せない。これ、刺さりましたー。RUclipsですが、千葉先生を通じて間接的に主に出会った気分です。キリスト教を話すのは難しく、なかなか機会がないですが、私の一部なので、この放送を通じて、いろんな方の意見や見解が聞けて、とても嬉しいです。コテンの皆様、そして千葉先生、本当にありがとうございました。
千葉さんがとても誠実にそして親しみやすく話してくださっていて、キリスト教について知るよいきっかけとなりました。ありがとうございました。もっとお話を伺いたいと思いましたのでまた是非よろしくお願いいたします
千葉さんと樋口さんの会話は結構スリリングで面白かったです。
それ聞いちゃうの?っていうわりと極端なくらいロジカルな樋口さんのツッコミに対して千葉さんの切り返しは見事だなと思った。
宗教とロジックの関係性はボケとツッコミの関係とよく似てる。
今の時代、ボケツッコミ両方カバーできるものじゃないとなかなか興味が惹かれない。
そういう意味でとても面白いシリーズだと思った。
関心を持ち続け聴きました。知的度が高いと感心しました。
神の実在を確信することは、不思議な体験がその一つであって、
もう一つ欠かさない事は聖書を読み神について知る事は基本だと
個人的に思い感じてます。
身の回りのものを観察し、その摂理について調べ考え、
万物の裏に規則がある事に気付ければ、追求すれば、
神の存在とその創造に辿り着き気付くのです。
千葉さんのお話しは本当に歯切れ良く誠実さを感じ、
またたくさんの事を知る(確認)ようになりました。
嬉しくて、そしてありがとうございました。
知らない事を自覚すれば、それこそ無限への知的な旅の始まりである。
ソクラテスが言うように、わたしが知っている事は「自分は何も知らない事だ」。
日本訳は適切かどうかは分かりません。その意味は間違いないでしょう。
千葉さんの目指す事を是非とも実現できますように。祈り願います。
素晴らしいですね♪
偶像崇拝や修道院の話については、やっぱりカトリックの有識者に聞いていただいた方がよいと思います。
千葉先生は、このあたりについて、カトリックに対する偏見もなく、知識もそれなりにお持ちで、分からないことは分からないと仰る誠実さを感じました。
しかし、やはりそれでも、偶像崇拝や修道院については、当事者であるカトリックの方でないと語れないな、とカトリックである当事者からの素直な感想です。
プロテスタントとカトリック、キリスト教として共通点も多いですが、違いも沢山あります。しかしどちらも、それぞれの角度から歴史を動かしています。キリスト教を多面的に理解するには、プロテスタントとカトリック(日本では難しいですが+で正教)、両方から見る必要性を感じました。
そういう意味では、自分もプロテスタントの勉強しないとですね…
海外文学を読む時に、キリスト教の要素がどうしても理解できないと感じていました。今回のシリーズを何回も聞いて大分イメージが出来るようになったと同時に、もっと詳しく知りたくなりました!シリーズ2ぜひお願いします!
コテンラジオならではの、素晴らしい回でした。ありがとうございます!
めちゃくちゃ良いシリーズでした。
他の宗教も是非聴いてみたいです。
第二弾を期待します。その時は、話をしている千葉さんのお顔を見たいです。
千葉先生 ありがとうございました。
本日も勉強させて頂きます!
母が長崎の五島列島出身なのでキリスト教について興味がありました。ですが、私の家系自体は浄土真宗なのでどこから触れていけばいいのか分からなかったので、千葉先生のお話はとても参考になりました。ありがとうございました✨
次回も楽しみにしているので、是非続けてください。
私の一番好きな聖句は「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコ 2.27-28)です。これはヨーロッパで科学が発展した源になっていると考えています。
コテンラジオではたまにゲームの話出てくるのが個人的に楽しかったりするんですが、今回大好きなキングダムカデリバランスの話が出てきてテンション上がりました笑。私自身がまさにそうなのですが、キリスト教についてほんのりふんわりしか知らないよくいる一般的な日本人として生きてると、修道院ってさらにその謎の奥の奥の世界って感じで馴染みがないし、創作の世界の中ですらもチラッと触れるくらいしかないことが多いので、あのゲームの中では修道院生活をじっくり体験できたのが本当に面白かったなとお話聞きながら記憶が蘇りました。
謎のあまりちょっと憧れもあった修道士生活でしたが自由な時間が全然なくて正直しんどかったのも含めて楽しかったです。
今回のコテンラジオのキリスト教編もおそらく一般的な人が抱くであろう疑問をたくさん代弁していただいた感覚があってすごく腑に落ちた部分が多かったです。(と同時にさらに謎が増した部分も…それもまた個人的には収穫です)信者でもないのにこんなことまで突っ込んで、というかストレートに聞いて良いのか?みたいなことってたしかにあって、そのあたりのお話も面白かったです。また、どの回でもそうなのですが深井さんが語り手の方を尊重している姿勢なのが本当にコテンラジオの安心して話を聞けるところだなぁと感じました。今回も面白かったです。ありがとうございました!
正直自分には難しかったですが、知的に刺激される部分が多くてもう一度最初から見たいという気持ちになりました。キリスト教は歴史でもそうですが現代の世界を考える上でも避けては通れない要素だというのに、日本人の自分からするとこんなに遠い感じがしてしまう。本当に素晴らしい企画だと思いました。是非シリーズ2や他の宗教のことも聞いてみたいです!
とても興味深い話しを聞けてよかったです有難うございます。特に千葉さんがキリスト教を信仰するに至ったあたりの話しが聞けてとても面白かったです。神学校に入られてこういう活動をされてるのを拝見するときっとお導きがあったのでしょう。
自分はカトリックですが家で祈る時は基本的に心の中で主の祈りを唱えるのみです。たまにアベマリアの祈りを心の中で唱える事もありますが、やっぱり家ではほぼ主の祈りだけですね(他のカトリックの皆さんごめんなさい)。
ちなみにロザリオはロザリオの祈りを唱える時に、あの珠数状の玉を使って何回唱えたか回数を数える為の物です。
勉強になりました!
千葉先生がかなり真摯に対応しお答えそれていて、とても深い内容になっていると感じますが、個人的な信仰の領域にお三方が知的関心を動機に興味本意でそこまで踏み込んでいく必要あったろうか、とは思いました。
一人ひとりは神様からどのような恵みを頂けるか、また頂ける内容と時期がそれぞれ違います。だから個人的にと言う言葉を使ってます。キリスト信仰は実在する神様と繋がる為の旗🚩みたいなものと言ってもいいかなぁと思います。結局はその恵みはすべての人に及ぶので、だから先に信じた人はその広がりに所謂他の人々に述べ伝える意欲が(自然に溢れてくるもの)生まれるのである。
福音と言うのは、喜びをもたらすものでもあります。その故、抑えきれずに人にシェアしたくなります。人にもその喜びを味わって欲しいその願いから自然に口に出てしまい、そして溢れるのです。
いずれ、すべての人(信じる人)はその恵みと喜びを体験するのである。それは聖書にはっきりと書いてあるものです。経験者としては、一日も早く、一人も多くその喜びを体験できるように願うのである。
救いは人を創造した神の計画御心である故、神を愛しまた心より感じそして信じる人はその御心に従いたく、口に出して人に伝えるのである。
書きすぎて、気に入らないなら、飛ばして読まないでください。宜しくお願いします。
@@陈晓煜-f9s
コメントありがとうございます。読み飛ばすだなんて、繰り返し読ませていただきました。おっしゃられるように、多くの人の眼が開かれんことを。
連続性への郷愁
面白かったです。私自身は洗礼は受けていないですがカトリックの環境でずっと育ったので少しラジオ内で触れられていたお話について……。ロザリオは、神聖なものとは思いますが、ロザリオの祈りをするときに使う道具というくらいであまり縁起がいいという感覚は私にはありません。それよりは十字架やおメダイが縁起がいいと感じます。私のなかではお守りのような感じ(持ち歩いて身近に神や聖マリアを感じる)です。
キングダムカムデリバランスの修道院のパート楽しかったけどめっちゃ面倒だったw
助けてくださいという祈りも、神が私たちを助けることを通して、神の栄光が現されることを期待してる感じがします!(実際には自己中心にもなりやすいけど)
この回に関してはもうちょっと話の内容や順序を固めて話して欲しかったかなぁ...
色んな話が小出しに、前後して出てくるのでキリスト教知識の薄い自分にとっては理解が難しい部分が多かったです。
プロテスタントに限定して聖書の概要、実態、宗教観みたいな感じで流れがあると良かったかなぁ...
祈り、は一周回って主の祈り、っていうの凄くわかります。(我らの罪をも赦し給え)
個人的には祈りは葛藤、だと思っています。
ある時は神に恵みを求めて祈り、辛い時は運命を嘆いて神よどうして…と信仰に迷い、
生きる意味なくした時は神にひたすら救いを求めて祈る。
結局どうやっても神に戻る。それがクリスチャンの神への祈りではないかと。
千葉先生はまだ若いので学びの方が強いのかもしれませんが、
それでも祈りの中で神への疑問が生じて葛藤する事はあるのではないでしょうか。
そしてまた神に戻って救われた。
祈りとは結局、その繰り返しであるように思います。
キリスト教は赦しの宗教である。その一言に尽きるのではないでしょうか。
機会があればカトリックの方の信仰、天使とか聖母マリア信仰とかも聞いてみたいですね。
全編お疲れ様でした。
千葉先生の回答が、回りくどくて分かったような分からないような…私だけかも知れませんが、頭に入って来ないなあ。
a scope で橋爪大三郎さんと話していた内容のほうが深く、わかりやすかった気がしますね。橋爪先生をよんで欲しいけど難しいかな?
近い将来は国際基督教大学あたりで教えるのかな?
著作が出たら買いたいと思います。
教会の神父と修道院の神父との違いは、学部や大学院の教授と研究所の教授との違いに似てますかね?